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何も見つからないのは少しずつ秋の色になってきましたね。_c0185858_14465342.jpg
何も見ていなかったから

何もないと思っていたのは
欲しいものだけが
そこには なかっただけ

欲張りな僕の心は いつも
砂漠の中をさまよっているけれど

本当の世界は きっと
砂漠の中にもたくさんのモノであふれている。









 ようやく秋めいてきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は彼岸花が好きなのですが、ここ数年、見ごろに出逢えずにいます。そこで先日インターネットで調べてから出かけたのですが、残念。大阪市内はまだ暑さが続いているからか花芽さえもほとんど見当たりませんでした。

 私の実家は奈良県の中でもそこそこ田舎で、学生の頃はオンラインショッピングはおろかインターネットすらそこまで手軽に利用できるものではなかったので、欲しいと思うものはなかなか手に入りませんでした。だから、都会に住めば欲しいものはすぐに手に入ると思っていました。そして今、私は大阪市内に住んでいます。学生時代から20年以上も経って世の中もすっかり変わり、あらゆるところに様々なモノが溢れかえっています。けれど私は昔とは逆に何が欲しいのか分からずにさまよっている気もします。元来あまり物欲がなく流行にも疎いので、それらが拍車をかけているのもあるかもしれませんね。

 「何にもなかった…」そう思いながらウロウロしていた私。でも本当は違うのです。私が見たかった彼岸花が咲いていなかっただけでたくさんの木々は生い茂り、萩の花だって咲いていました。そこかしこにトンボは飛んでいて、たくさんの自然が溢れていたのです。ただ私がそれらを見ようとしなかっただけの事。

 世界は自分がどのように見るのか、感じるのかによってその様を変えていきます。
探しているものが見つからないから「何もない」のではなく、ただ「欲しいもの」がその場所にはないだけで、自然が溢れている場所や街のなか、郊外の商業施設の中にもモノは溢れかえっています。そう「何もない」の代名詞である砂漠の中にもきっと同じことが言えるのでしょう。
 本当に恐ろしいのは「何もない」ことではなく「欲しいもの」以外は見えなくなることなのかもしれませんね。そう思いながら数十年ぶりにみた「ジュズダマ」の実を眺めていたのでした。

少しずつ秋の色になってきましたね。_c0185858_14433983.jpg
      ところで、あなたは…。
          ~ゴン~






あの日の空を覚えてる今年もしっかりと暑い夏ですね…。_c0185858_16444565.jpg
君と見たあの空を
僕は 覚えてる

むせかえるような熱気をさらうように
風が田畑の上を走り抜けていく
それは なんてことのない
いつもの光景だった

けれどそれが 
当たり前の日常ではないと
いまならわかる

あの日
あの空を見れたこと
あの空のもとにいたこと
となりに君がいたこと
そして 僕らには
永遠のようにこんな日が続くんだと
疑わなかったこと

もう あの日の空も
あの時の日常も
そして 君さえも
僕のそばには いない。









 立秋も過ぎた今日この頃、日中はうだるような暑さが続いていますが、朝晩の風が少し秋めいてきましたね。とはいえ、今年も絶賛夏バテ中の私ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 気が付けばオリンピックは始まって終わっていました…。普段からスポーツ観戦をしないので名場面も悔しい試合も全然存じ上げないのですが、ついこの間、東京大会が終わった気分だったので、なんだか不思議な感じです。ところで私の記憶が正しければ、オリンピック開催中は世界中の戦争や紛争は休止すると聞いた覚えがあったのですが、違ったのでしょうか?いつものようにネットニュースにはどこかの国がどこかの地域を爆撃したとか、爆発で何名亡くなったとか、そんな記事を目にしたように思います。

 私の祖父母は戦争を体験した人たちでした。父方、母方それぞれ体験した形は違ったけれど、戦中、戦後のいろいろな事や想いを十二分に味わった人たちでした。親族最後の戦争体験者だった祖母も昨年亡くなり、ついに親族の中には体験者がいなくなってしまいました。それが意味することを私が本当の意味で理解するのは、もう少し先の事なのかもしれません。

 大阪市内にある大阪城は戦時中、軍の司令部がおかれていたこともあり大阪城公園を散策していると、戦争遺跡に出逢うことができます。けれど残念なことにそれらは無残にも朽ちかけていて、遺跡として保存されているよりも放置されている感じにも見受けられます。自分たちが手を加えなくても、いつか自然に形を成さないことを待っているかのように想えて、そうやって私たちの記憶からも戦争のことを「怖いからそれ以上知りたくない」「危険だから近づかない」ようにして、遠ざかってしまうのでしょうか。

 大阪の街もここ数年ですっかり様子を変えました。新型コロナ拡大で規制されていたころは通勤・通学する人がほとんどだった駅や電車も、今ではコロナ以前よりもグローバルになりました。そして、それはおそらく79年前では考えられないほどの光景なのかもしれません。

 79年前、祖父母たちが見た空といま私が見ている空は同じですが、その空の下に広がる世界は同じではありません。それはイイ意味でも悪い意味でも世界中そうなのでしょうね。
「歴史は小さなブランコ」です。振り子を導く者が、どうか広い視野を持つ方々であることを願うばかりです。


今年もしっかりと暑い夏ですね…。_c0185858_16445275.jpg
      ところで、あなたは…。
         ~ゴン~



なんだか梅雨明けしそうな予感…。_c0185858_16071071.jpg
儚さに
君の姿を重ねては
降りしきる雨に
揺れるシモツケ









 梅雨入りしたのは6月の下旬。ここ数年の梅雨は昔ながらのジトジト降る感じではなく、まるでスコールのような雨が来ては去っていく感じですね。しかも早々に梅雨明けしそうな予感。今年の作物は大丈夫でしょうか…。

 近所のお宅の庭先にシモツケの花が咲いていました。実はこの花が「シモツケ」という名前だと知ったのは今回の便りのために検索しているときでした。それまでこの花は「フジバカマ」だと思っていたのですが、よくよく見てみるとなんだか違う…。そしてたどり着いたのは「シモツケ(下野)」でした。
私の母は花が大好きですので、その影響でそこそこ花の名前を知っているつもりでいましたが、私が知っていることなんてごく一部なんだと最近つくづく思います。

 ある方に言わせると「ヒト」は自分が見たいものを見て、信じたいものを信じるんだそうです。すべては自分がどう捉えるか。ニュースひとつとっても同じで、受け取り方は千差万別。きっと極端な思考以外はどれも正解でどれも少し違ったりするのでしょうね。だからこそ誰かと会話するときは、できる限りその方の話を丁寧に聞き入ることも大切なのかもしれません。

 花の名前を検索するときはいつも、花言葉も一緒に確認しています。「花言葉」が好きというよりも、その「花言葉」がつけられた由来や伝説、故事が好きなのです。
 花言葉は多くの場合、複数つけられています。今回のシモツケも例に漏れずいくつかあり「愛」「努力」「儚さ」等ですが、そのほかにも「無駄」「無益」という他の花言葉を打ち消すような言葉が付いています。それには中国に伝わるこんな故事が由来だと言われています。
「勇敢な軍人を父に持つ少女がいました。ある戦いの中、少女の父は敵に捕らわれてしまいました。少女は父を助けるために敵地に向かい長い月日をかけて探しますが、見つけた時にはすでに父はなくなっていました。哀しみに暮れながら父の墓標の近くに咲いていたシモツケの花を故郷に持ち帰って植えると、再び美しい花を咲かせたのでした。」
さて、この話のどこの部分が「無駄」で「無益」だったのでしょうね。無謀にも敵地に乗り込んだ彼女の行動でしょうか。それとも父を死に追いやった戦い(戦争)の事でしょうか。残念ながら詳しいことまで私には確認することができませんでした。けれど、どうか「後者である」と思ってくださる方が多いことを祈るばかりです。

       ところで、あなたは…。
          ~ゴン~なんだか梅雨明けしそうな予感…。_c0185858_16072507.jpg






ブログテーマ:身近で見かけた夏の動植物
空を仰ぎそろそろ梅雨入りでしょうか。_c0185858_14313287.jpg
羽ばたくことを決めたのは
もうずいぶんと昔の事

ナコカイ トボカイ
ナコヨカ ヒットベ

そう唱えては
トビラの前をうろうろしていた

春が来て 夏が過ぎ
秋になり 冬にいる

次 必ず春が来ると
誰が決めたのだろう

そう めぐる季節など関係ないのだ
籠を作ったのは私なのだから
いつ飛び立つかを決めるのも
私なのだ

そして今 トビラに手を添えた。






 暦の上では初夏ですね。そろそろ梅雨の足音も聞こえそうですが、どうやら昔から伝わる季節の言葉も異常気象には敵わないようです。

 いま住んでいる部屋の近くに「モミジ(カエデ)」をご自宅の敷地内に植えていらっしゃる家があります。先日その前を通るとキレイな「青もみじ」になっていて、つい足を止めて眺めていると羽が付いたかわいい種ができていることに気が付きました。
 植物たちは自分で住む場所を選ぶことはできません。芽を出した場所がどんなところであっても、一生そこで過ごすことになります。だから、花粉や種を鳥や虫に運んでもらったり、風で運んでもらったりして自分の子孫たちを「ここ」ではない別の場所へと運んでもらいます。モミジ(カエデ)が選んだのは風に乗って自ら遠くへ飛ぶという方法。羽のついた種は風にのってクルクルと、どこか遠くの場所を探して飛んでいくのでしょうね。

 こんなことを言えば語弊が生じるかもしれませんが、幼いころから早く「老人」になりたいと思っていました。それだけ祖父母を尊敬し好きだったことも関係しているかもしれませんし、穏やかでのどかな時間を過ごしているように見えたのかもしれません。だからなのか、ずっとずっと穏やかな日々を憧れていました。皆さんが驚くような激動の人生を送っているわけではありませんが、それでも平坦な道のりではありませんでした。だから人生の後半は、たとえ誰かから「退屈な人生」に見えたとしても、私が「望んだ人生」を歩もうと思っていました。
 いま40歳をとうに越え、その「望んだ人生」を歩んでいるのかと問われたら「わかりません」としか答えられない状況にいます。確かに以前のように半年後、一年後の生活を心配することのない会社に勤め、預金残高を見ては生きていくうえで必要な金額はどれくらいかかるのか悩むこともほとんどなくなりました。けれどコロナ禍前後から会社、社会、世界の変化はスピードを上げ、気が付けばその渦の中にいま、私もいます。贅沢な悩みなんだということは分かっているのです。私が選んだ人生でもあるので、嫌だとか会社を辞めたいとかそんな風には思いません。ただ、そうですね、全力疾走は短距離だからこそできるもので、長距離になると体も心も持ちません。短距離走だと思っていたらフルマラソンを走っていた、そんな感じで、どうやら体と心が疲れているようです。
 ここしばらくの便りを読み返しても同じようなことばかり。もう少し明るい話題があればいいのですが、申し訳ないです。それでも、道すがら出会えた木々や花々に癒されている自分に気が付いた時、「まだもう少し大丈夫」と思えたのでした。
    
        ところであなたは…。
          ~ゴン~

そろそろ梅雨入りでしょうか。_c0185858_14313897.jpg


初夏というより夏ですね…。_c0185858_14194674.jpgすこしだけ そばにいてください
何も言わず 
ただそばに いてください

移ろう季節は足早で
私の心はいつも
あとを追いかけてばかり

あなたの背中を見つめることにも
もう 慣れたけれど
本当は 隣を歩いていたかった

だから
いまだけは 何も言わず
ただ 私のそばにいて欲しい。









いつの間にか桜の季節も終わり、もう5月でした。
この便り、できるだけ月に一度はアップするつもりでしたが、このままでは季刊誌になりそうですね…

 皆さんの安らげる場所はどこでしょうか?
友人や家族たちと一緒ににぎやかな時間を過ごすのがいいという方や、ひとり好きな場所へ行って心が赴くままに過ごすのがいいという方、それぞれでしょうね。

 以前も同じ話をしたかもしれませんが、ある方とアーティストさんの音楽を聴いて「癒されますね」とお話ししていたときでした。その方はそっとこう仰ったのです。「私たちはこの方に癒されているけれど、この方を癒してくれる方はちゃんといるのだろうか」と。
 ともすれば求めるばかりで、相手の想いや状況を見落としがちです。だから自分が心地よくても相手も同じとは限らないこともしばしば。相手の気持ちを100%理解することはできませんが、相手のことを大切に想うのなら、配慮というか相手の気持ちを慮ることも自分がして欲しいと思うことと同じくらい一緒に持ち合わせていたいですね。

 大型連休中に少し実家に帰り、相変わらず騒々しい実家で揉まれて色んな意味で疲れたのですが、それでも時折見せる父や母、兄妹たちの想いを感じ、「忙しい」や「疲れている」を言い訳にして距離を保っていた自分が情けなく、また少しの時間でも家族の顔を見ることができてよかったと思ったのでした。

            ところで、あなたは…。
               ~ゴン~

初夏というより夏ですね…。_c0185858_14150444.jpg