とても疲れている時

とても嬉しい時
とても悲しい時
とても感動したとき
僕は あなたに逢いたい
懐かしいものを見た時
美味しいものを食べた時
風邪をひいて苦しい時
僕は あなたに逢いたい
いつもあなたのことを考えているわけではない
けれど
ときどき あなたを思い出して
いつも あなたがいないことを思い知り
そのたびに僕の心は 空洞になる。
前回、便りをお送りしてから、本当にいろんなことがありました。
久しぶりに会えた人、すぐに会いに行けなかった人、今年もまだ会えていない人、そして故郷でのやるせない事件。
6月下旬、3年ぶりに直太朗さんのライブに行ってきました。仕事上、月末は忙しいので、チケットを取ったもののギリギリまで悩んでいました。同じ大阪市内なので無理をしないでも行ける距離。だけど仕事は毎月末、残業をしないと間に合わない状態。本当に行っていいのだろうか?と自問自答を繰り返していたのですが、心のどこか少しでもいい、自分が大切にしていることに、たっぷりと時間を使いたいと思っていたのでしょうね。結果、半休を取り行ってきました。おかげで今はとても穏やかな気持ちでいます。
私はいつの頃からか、いえ、もとからの性格かもしれませんが、ホームシックにかかったり、一人が寂しいと思うことがほとんどありません。逆に、人ごみや一度にたくさんの人と接すると疲れ果ててしまいます。だから、ひとりになる時間をとても大切にしています。けれどそんな私でも、やはり「会いたいな」と思うことがあるのです。そんな時すぐに会えたらいいのですが、故人であったり、遠くにいたり、環境的になかなか会うことが難しい人だったり。我ながら身勝手ですが、もどかしいですね。
先日、父が緊急手術をしました。自分の体にとても敏感な人なので、かかりつけ医に不調を訴え、症状を聞いたお医者さんが総合病院を手配してくださり、大事になる前に無事手術を終えたのでした。それを知ったのは手術が終わり、母が病院から帰宅した後でした。コロナ禍での面会謝絶と残業続きの私を気遣った兄が、母にそうしたほうがいいと言ったそうです。家族の優しさを理解していながらも、鹿児島にいても大阪にいても不甲斐ない自分に落ち込んでいました。そばにいないということは、こういうことなんですね。
祖母が七夕の日に99歳を迎えました。会えないからと毎月送っているハガキを、今回はバースデーカードにしました。先日、施設を移ったので面会できる機会は増えたのですが、再びの感染者増加。まだ気軽に会いに行ける状態ではありません。人と接することが好きな人だから、寂しくないか心配です。
小学生の頃、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を習いました。あの頃はその意味を理解できず、リズミカルで色んな単語が出てくるその詩に、インパクトを受けたことを覚えています。あれから30年以上たって、今ならその意味が分かる気がします。「生きる」ということは、物質的に考えるとただの時間の経過かもしれません。けれど私たちはついそこに意味や価値を求めてしまう、ある種の承認欲求のようなものがあります。その欲求の根底にあるモノが「愛」だとするのなら、何かを、誰かを「愛」することが「生きる」ということの源なのかもしれませんね。もちろん「愛」にはいろんな形がありますけどね。
家族を愛していたがゆえに起きた奈良の銃撃殺人事件。なんとも言えない気持ちになったのは、故郷で起きたからでも、公人だったから訳でもありません。きっとそれは世界中のどこででも起きうる事件。どんな理由だったとしても、誰かを殺めることは許されません。けれどどこかで歯車が狂わなければ、誰も傷つかずに済んだのかもしれませんね。
この一カ月は生きることと愛することの難しさを改めて実感した一か月でした。
今年のお盆は少しの時間でもいい、父と祖母と、そして家族みんなに会いに帰るつもりです。

ところで、あなたは…。
~ゴン~
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by kawagonta_y
| 2022-07-31 15:02
| いろいろ便り
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