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c0185858_14161128.jpgミギテ ヒダリテ

お箸を持つほうが ミギテ
お茶碗を持つほうが ヒダリテ

だけど
あなたは そうじゃない

わたしのふつうと
あなたのふつう

どちらもだれかの当たり前。







 最近「きのう何食べた?」というドラマを見ています。
 お話の主人公は同性のパートナーと暮らしている40半ばの男性。恋がどうとか、会社がどうとかそんなお話じゃありません。歳を召していく親のこと、いろんな人との関わり方、そんなことをほのぼのと描いていて、私もほのぼのだけど、毎回何か心に残るモノを感じながら見ています。
 ある一場面でのこと。主人公のパートナー(美容師)がお店のお客さんに主人公との仲を話します。ある日、主人公とパートナーが歩いていると、そのお客さんとそのご家族に出くわします。そこでお客さんが「この方が噂の…」と話しだすんです。主人公は、自分のまわりに同性のパートナーがいることを話していなかったので、パートナーに「なんでお客さんに二人の仲を話すんだ!」と怒ります。するとパートナーは言うんです。「だって店長だってお客さんに自分の家族の話をするよ。僕だって話したい!」と。

 私は基本的に同性であれ異性であれ、また歳の差がある場合でも、誰かに恋をし、その人のいろんなことをマルッと受け止め、愛することができる、それはすごいことだし、素敵なことだと思っています。「誰かを愛することができる」ってことは当たり前のようだけど、当たり前じゃない。いつもなんだか躓いてしまう私にとって、それは尊敬に値します。多くの人が「当たり前」とすら思っていないことも、本当は「当たり前」ではない事って実は多いのかもしれませんね。

 私は猫舌です。ちかも致命的なほどに。ご飯を作っていても、慌てて味見をすると、舌が火傷のせいでしびれて味が分からなくなります。家族の中でも、おそらく私だけが猫舌。だけどそうだと気付いたのは、大きくなってから。それまではみんな熱いのを我慢して食べているんだと思っていました。そう、私には我慢が足りないんだと。

 ときどき思うんです。自分の体の特徴や趣味趣向だけでなく、仕事、生活習慣や考え方、経験もそう。
自分にとって「当たり前」と思っていたこととはまた違う誰かの「当たり前」に出逢った時、もしかしたら「理解する」ことよりも「受入れる」ことの方が、難しいのかもしれません。きっと「理解」は「頭」で、「受入れる」は「心」でするものだから、なのでしょうね。
 はてさて私はきちんと、色んなこと受け入れているだろうか。

                   ところで、あなたは…。
                     ~ゴン~










c0185858_18452655.jpgいつものように朝を迎える

先ほどまでの明日と今日は終わり
新しい今日と昨日が始まる

遅咲きの桜が
春の移ろいを教えてくれる
風がカーテンを揺らし
珈琲の香りが
部屋の様子を変えた

いつもの席に
あなたがいないという事実
それでも時は流れるというロゴス

時はいつになれば
この気持ちを解決してくれるのだろうか。











 あまり実感がございませんが、「平成」という時代が終わりますね。
この「元号」と呼ばれる日本国内でしか通用しない「年」の呼び名。さて世界は広い。「元号」を使用している国(主にアジア圏)はすでに無いようですが、「元号」に近いモノを「西暦」と併用している国もまだあるようです。

 先にお伝えしておきますが、私は生まれ育った「奈良」と移住した「鹿児島(市内)」しか、知りません。そしておそらく私の考え方は、とても偏っています。ですので、気分を害された方がいらっしゃいましたら、ご容赦ください。

 私は「日本」というこの国が好きです。この「日本」は独自で文化を成したように感じる方も多いでしょうが、実に多くの国の文化を、特に中国や朝鮮半島の文化や学問を昔から取り入れてきました。奈良県内には、それを感じる場所が今も多く残っています。日本最古の大仏と呼ばれる「飛鳥寺」の「飛鳥大仏」をご存知でしょうか?実は「東大寺」の「大仏」とは少し異なった顔立ちをされています。それは飛鳥時代が奈良時代よりも大陸からの文化的影響をより色濃く受けていたからだと言われています。
以前「花博記念公園」に行った際にご紹介した「王仁(日本に儒教を伝えた方)」や、唐招提寺の創建に尽力された「鑑真和上」は、大陸から日本に来て下さった方々。そしてその方々を敬い、ともに「日本」を作ってきた日本人。近年、平城京の発掘調査では、遠くペルシャ(トルコ周辺)から渡ってきた方が役人になっていたという木簡も発見されたようです。もしかしたら奈良時代の方が、今よりもずっともっと寛容的で国際的だったのかもしれません。そうですね、これも私の偏見ですが、この「日本」は「島国」だったという事が、とても恵まれていたのかもしれません。

ともすれば私は、自分の基準で物事を判断しがちです。善悪に然り、ことの進め方、相手への感情。けれど、本当にその相手と深く繋がり続けたいと考えるのならば、相手の基準を知ることも大切なのかもしれません。
「君の立場になれば、君が正しい。僕の立場になれば、僕が正しい。」-ボブ・デュランー
なぜ相手はそういう行動を取ってしまうのか、どうすれば分かりあえるのか。「受入れる」ことと「負け」は必ずしもイコールではないと、私は思います。

「歴史は未来を考えるために学ぶもの」 私はこの考えを、変えることはないでしょう。
日本では誰もが自由に思うこと、信仰すること、表現することに対し「権利」が保障されています。ですので、どんな考え方、表現があってもいいと思います。それが誰かを傷つけるようなことでなければ。でも願わくば、「令和」の時代は、国内外問わず誰もが自分の故郷の魅力を思う存分語れる、そして相手の国を尊重しあえる、そんな時代になってほしいと切に願っているのです。新しい元号を廻っていろんな想いや考えが飛び交っているけれど、どんな未来にするかは私たちしだい。上皇陛下がご英断されたこの「退位」が、いつか昔のこととして教科書に載る頃には、そんなことが当たり前になっていてほしいですね。

「難波津に 咲くやこの花 冬籠り 今は春べと 咲くやこの花」
さて、2025年の大阪万博までに日本とこの国の周辺諸国に、春はやってくるのでしょうか。

c0185858_18450165.jpg        ところで、あなたは…。
           ~ゴン~

※表記に一部、誤りがございました。訂正し、お詫び申し上げます。










c0185858_14381207.jpg緑立つ
あふるる光に
   とまどいて

おのが心を
  うつす 春空











 気が付けば3月も今日で終わり…。
一週間は長く感じるのに、一ヶ月は早く感じる今日この頃ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 こころのモヤモヤと対面したとき、皆さんはどんな行動を取りますか。どうやってそのモヤモヤを整理しますか。誰かに話したり、運動したり、本を読んだり、好きなモノを目一杯食べたり。きっと人それぞれ。どうやら私は、思いつくまま言葉を文字に起こすことで対峙することができるようです。そうしてちょうど今、この便りを書くことで、モヤモヤと向き合っています。ですので、いつも以上につたない文章ですが、しばしお付き合いいただければ幸いです。

 私は昔から、情けない話あまり努力をせず、自分をきちんと育てなかったものですから、学力も知識も薄いのです。それはどんなに取り繕っても歳を重ねればおのずとボロが出てきてしまうもの。おまけに生まれ持っての才能も、特に何もないのでなおさらです。
 四十路目前ともなれば、一回りも下の人たちと出逢ったり、一緒に働くことが多くなります。もちろんその人の素質以外にも育った環境も時代も異なります。けれど出逢った方に対し、それだけではない何かを感じとったとき、自分の小ささもまた感じ入るのです。決して順風満帆とは言えない時間を過ごし自分なりにその時々を必死で生きてきたつもりですが、年齢性別関係なく出逢った方の魅力に嫉妬し、何も持たない自分をどこか恥じることがあります。自分が一生懸命自分を育てなかった結果なのですが、この歳にもなって情けないですね、「自分は自分」なのに。

 「何かを始めるのに、早いも遅いもない」そう言った祖父の言葉の重みを、最近つよく感じています。
20代や30代前半の頃は、その言葉をまるで気持ちのスイッチのように思っていたのですが、歳を重ねた今、50歳を過ぎてから詩吟を始めた祖父のことを思うとそれは、とても大きな覚悟と気力を要したものだったと感じます。
 人は、残念ながら平等ではありません。けれど、唯一平等に与えられるものは「時間(単位として)」と「死」だと私は思っています。10代だからと言って必ず10年後も生きているとは限らないし、老齢だからと言って5年先の未来がない訳じゃない。やろうと思った時が最適な時、だから「早いも遅いもない」のでしょう。それは戦前戦後を、なにより戦場を生き抜いた祖父だからこそ、得た想いなのかもしれません。

 「春だから」という訳ではないのですが、「やりたい」と思ったことを少しずつでもいいから始めようと思います。いままでも「やりたい」と言いつつも、始めることすらしなかったコトが盛りだくさんの私です。そんな私もまるごと一緒に変えていこうと、仕事からの帰りみち、さくら色に染まった夕空を見ながら、ふとそう決心したのでした。

                    ところで、あなたは…
                       ~ゴン~










c0185858_15323141.jpg―それは ときどきやってきては
僕の中をヒタヒタに満たしていく―

そしてスコールは 去っていった

あれほどの雨風で
景色さえも変えていたのに

けれど 今 雨は止み
新しい風が 頬をなでている

きっと 明日になれば
新しいスコールがやってくるのだろう

僕の心は いつも
新しい風と雲を探しているのだから

ほら こんなにも空は青い。







 久しぶりに姉と直太朗さんのコンサート(奈良公演)へ行ってきました。
当初予定していた会場が耐震構造に問題があり、急きょ県内の別の会場に変更に。それはコンサート当日の約1週間ほど前だったように思います。そんなアクシデントはありましたが、素敵な時間をたくさんの方々と過ごせました。
 なんだか変な表現ですが、やはり直太朗さんは、直太朗さんでした。それは「スタンス」や「演出」が「変わらない」ということではなくて、どんなパフォーマンスでも、どんな状況下でも彼の中の「人間性」や「根底にあるもの」が「変わらない」と感じたのです。
 彼を応援し始めて15年近くになります。彼はいつも私に新しい何かを与えてくれます。けれど変わらない何かも同時に与えてくれるのです。そうきっと、これからもずっと私は彼をどんな形であれ応援していくだろうと改めて思ったのでした。

 初めて奄美に行ったのは、もう何年前だったでしょうか。
初めて鹿児島を訪れmifuriさんや三姉妹ちゃんたちと逢い、そしてそのまま奄美に渡り西さんに逢ったのが初奄美でした。私が鹿児島に移住する決心をした旅です。そうするともう9年か10年ほど前になるのですね。つい数年前のような、そんな感覚でいました。

c0185858_15273596.jpg  先日の2月の連休に久しぶりに奄美へ行ってきました。今度は一人旅ではなく友人と共に。鹿児島にいるころはすぐに行けると思いつつ、1度しか行けなかったのが心残りで、大阪に引越してからようやく行ってきました。今回も小雨女の私は健在で、二泊三日の滞在中、2日目だけ曇り、あとはずっと雨でした。けれど、いつも日本中を飛び回っている西さんとも久しぶりに奄美のお店で会えましたし、彼岸桜も見れました。初奄美で訪れたホノホシ海岸も。ただ「澄み切った空と青い海」の奄美を一緒に行った友人に見せてあげられなかったことと、最終日に急性胃腸炎になり、友人に迷惑をかけてしまったことを除いては、色んなことを感じ考えた思い出深い旅になりました。

 私の中には、どうやらいくつかの「雲」があるようです。その「雲」の成分は、それぞれ好きなモノや音楽、興味のあるもので出来ています。その雲の多くはいつも優しく漂っているのですが、大きな嵐になることもあります。きっとそれが「いま一番、気になる・興味がある」状態。欲張りな私はその雲たちが消滅することはほとんどありません。形を変え大きさを変え、いつも心の空のどこかに存在します。
 半年ほど前、鹿児島を去り大阪に来てから、心の空模様の変化になんとなく気が付いていました。けれど今回、直太朗さんのコンサート、そして奄美への旅をしてそれは確信となりました。もちろん今までもこれからも、彼らは私の大切な人・コト・場所。けれどそれは心の景色を変えてしまうほどの嵐ではなく、優しく肩をそっと濡らすそんな雨雲に形を変えたということ。今までもそんなことがありましたから、私にとって特別なことではありません。私が変わり続ける以上、想いのカタチも変わり続けるのですから。

 私はミーハーな人間です。しかも新しいこと(最先端ってことだけじゃないですよ)が大好き。まぁ若干、好みが偏っていますが、でも食わず嫌いにはなりたくない。世界は広い。私の知らないたくさんの色んな世界を、もっともっと知りたいと改めて思ったのです。
 それは関西国際空港からの帰り道、電車の中で外国の方に停車駅について英語で尋ねられたことも、大いに関係しているのかもしれません。
日本語もままならないけど、外国語も話せたらもっと楽しいだろうな…。

              ところで、あなたは…。
                 ~ゴン~











あなたが ただいま という
私が おかえり という

あなたが おやすみ という
私が おはよう という

あなたが 今日も生きているということ
私が 今日も生きているということ

c0185858_15203011.jpg当たり前が 当たり前に過ぎてゆくということ
それが 当たり前になるということ

けれど それは
当たり前ではない ということ

今日も 私はあなたに
いってらっしゃい という
あなたは 行ってきます と笑う。








 大阪に引越してから電車移動が基本となった私は、電車の遅延トラブルに見舞われることも増えました。
そのトラブルのうちのある一件のときでした。駅員さんに振替輸送の方法と他の経路を確認しに行くと、そこには長蛇の列と複数のイライラを抑えきれない人たち。同じくイライラしていた私は、その光景を見て我に返ったのでした。そして直太朗さんの楽曲の1フレーズを思い出したのです。
「便利になったはずなのに 世界はぼんやり暗いまま」 ~「昨日の君と今日の僕」~

 ときどき「昔の方がのんびりしていた」とか「もっと大らかだった」と聞くことがあります。けれど「昔に比べて便利になった」とか「昔はもっと大変だった」とも聞きます。

 私は高度成長期後の急速に発展した社会の変化を、学生の頃から見てきました。私が学生の頃は選択肢すらなかったものが、20年近くの時を経てたくさんの選択肢を持つものもあります。けれど、必ずしも「選択肢が多いから幸せ」とは限らないのでは?と最近思うことがあります。
 私は、強情なうえ優柔不断です、しかも欲張り。それしかないとなると自分の希望に近いモノを何とか探しますが、自分の希望に近いモノが複数あると迷うのです。迷って決めた後で「あっちにすればよかった」とか比較し批判してしまいます。それしかなかったときは、比較対象がないから「こうなればもっといいのにな」くらいしか思わなかったのに。選べるなんてありがたいことなのに、私はわがままですね。
 もしかすると、そうですね…一概には決して言えないのですが。
もしかすると、選択肢が少なかった頃の方が「しょうがないさ」と心に余裕があったのかもしれません。「諦める」=「心の余裕」となるのかどうか、私は哲学者でも精神科医でもないので分かりません。それに、もちろんそれは私だけに言えることでしょう。だけど確かに私は、便利なはずなのに、なんだかいつもイライラしています。

 先日、「阪神・淡路大震災」から24年が経ちました。あの震災後、たくさんの場所でたくさんの災害が起きました。あの頃、「忘れないために」というフレーズに「忘れるわけないじゃない」と違和感を覚えていましたが、24年経った今、その意味が少し分かるような気がします。

傷に大きいも小さいも、古いも新しいもありません。
「当たり前のことが、当たり前ではない」と知ったあの日から、少しは何か変わることができただろうか。「いつも通り」がそうでなくなったとき、その理由に対して寛容になれるだろうか。その理由を誰かのせいにして、責め立てたりしないだろうか。ふとそんなことを思いながら、車窓から見える街並みを眺めていたのでした。

                   ところで、あなたは…。
                     ~ゴン~










未来が今 ここにある
c0185858_23585914.jpg
あの日みた夢は
どんなカタチをしていただろう

置き去りにしてきた未来は
どんな色をしていただろう

僕を創る たくさんのあなたは
今 何をしているだろう

僕が選んだ未来は
今 ここにある全て

その全てが 今は愛おしい。






 今年は、とても内容の濃い一年になりました。「大殺界の始まりの年」と言われていたけれど、なかなか面白く、有意義な一年でした。もちろん日本中でたくさんの災害が起きましたので、穏やかで幸せな一年とは言い難いのですが…。
ん?鈍感で気が付かなかっただけで、個人的にも良くないことが起きていたのかな?

 私には、いくつもの夢がありました。その夢の多くは、残念ながら夢のままで叶っていません。理由はさまざま。もとから無理な夢もあったけれど、挫折した夢もあります。挫折したそのいくつかの夢を私は「過去」と呼び、そのことから離れることで「過去を捨てた」と思っていました。けれどいつの頃からか、私が捨てたのは「過去」ではなく、「未来」だったのかもしれない、と思うようになりました。それは、記憶にある以上簡単には「過去」を消せないし捨てられないという、まるで上げ足を取るような言い訳と、「諦めて挫折していなければ、今もその道(未来)を生きていた」ということ。

 私は今、私が選んだ「未来」に生きています。それが望んだ未来になっているかどうかは別ですが。
以前にもお話したように、今まで出逢ったモノや人たちと、出逢わなければよかったと思ったことはありません。良いことも、悪いことも、嬉しいことも悔しいこともその全てが、今の「私」を作っているから。今とても幸せなのかと聞かれたら、即答で「はい」とは答えられないけれど、不幸かと聞かれたら、即答で「いいえ」と答えられます。いろんなことを、少しずつ感じて想いを馳せられる環境になってきたのかもしれません。とはいっても、いわゆる「リア充」と呼ばれる状態からはかけ離れていますが…。
 だから本当は出逢ってくれたモノや人々に、感謝をしなければならないのかもしれませんネ。

 先日、久しぶりに中さんのコンサートへ行きました。鹿児島でのコンサート以来ですので、2年ぶりだったように思います。大切な友人と一緒に行ってまいりました。久しぶりに聴いた中さんは、とても気持ちよさそうに歌ってらっしゃいました。彼が歌ってくれた数々の曲を聞きながら、その曲にまつわる想い出をずっと思い返していました。
 そうですね。いろんなことがあったけれど、どうやら私は、あの頃より少し大人になれたようです。

さて、今年もこの便りでサヨナラです。来年はどんな一年にしましょうか。
ではみなさん、良いお年を!!

                  ところで、あなたは…。
                    ~ゴン~







哀しいほど
c0185858_18123335.jpgあなたの 言葉が
すべり落ちてゆく

その言葉の ひと粒 ひと粒が
すべて 染み込んでいく日々もあったのに

あなたが 変わったのか
それとも
わたしが 変わったのか

季節が移ろうというのは
きっと そういうこと。





 大阪はすっかり晩秋から初冬に変わりつつあります。久しぶりの関西での過ごすこの季節。
鹿児島と比べて…気温差が激しい…。外は寒いけど建物と電車の中は暑い。で、ちょっと風邪気味です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 先日、花博記念公園に行ってきました。花博記念公園には開催当時に一度家族と行った以来ですので、ほぼ初めての気分。一度きちんと行ってみたいと思いつつ、ずっと行っていませんでした。お目当ては開催当時、長蛇の列で入ることができなかった「咲くやこの花館」(温室)。何がって、ミーハーな私ですので、ただその名前と「日本最大級」というところに惹かれただけです。

 当日は、秋晴れ、とはいかず、曇り空で風も強めの寒い日。それでも家族連れでにぎわっていました。しかし花博記念公園も例に漏れず、9月の台風21号の被害をかなり受けていました。広大な園内のほとんどが今も立ち入り禁止になっており、先日ようやく一部が解放されたようでした。
 あれほどの災害に見舞われたのに、それでも季節はきちんと廻って、植物たちもそれに添って命を廻らせていくんですね。壊れた柵の向こうには倒れたり折れてしまった木々がたくさん見えるのですが、傷ついてもなお実を実らせ、葉を紅葉させている木々がありました。植物は、強いですね。きっと彼らは今を受入れ、ただ命の営みを繰り返しているだけなのだろうけど。世界では色んな災害が起きているけれど、もしかしたら一番弱いのは人間なのかもしれませんね。

 鹿児島にいた頃はガジュマルと同居していたのですが、現在実家で療養中ですので、同居がいません。面倒くさがり屋な私です。しかも日中は仕事であまり植物にかまってあげることができないのです。だから育てるのは一鉢と決めています。ベランダも部屋も狭いし。幸い?なことに部屋の近くに花屋がありませんので、植物を育てたい衝動に駆られることはないのですが、やっぱり植物はいいですね…。その存在だけで癒されます。
 花博記念公園からの帰り、ガジュマルは実家で大きくなっているし、やっぱり何か育てようかな、なんて本気で考えていたのでした。

※「難波津に  咲くやこの花  冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」 王仁(わに)
「難波津に花(梅)が咲いた。冬の間籠っていたが冬は去り、春になった今、この花が咲いた」
古今和歌集に詠まれた歌です。王仁は百済(朝鮮)からの渡来人ですが、季節を愛でるのに国境はいりませんね。

              ところで、あなたは…。
                 ~ゴン~




目まぐるしく
c0185858_15361928.jpg景色は 変わっていくのだけれど
私の心は まだ少し
そのスピードに ついて行けなくて
愛したものの 残り香を
いつまでも 探してしまう

変化を求めていたのは 私
けれど
愛したものを切り捨てることと
前に進むことは
イコールではないと
どこかで まだ
信じている。





 先日、鹿児島から一緒に帰ってきた愛車を手放しました。実家で暮らしていた時も鹿児島に居るころも車がある生活をしていましたが、今、大阪でも便利のいい場所に住む私は、車がなくてもそうそれなりに生活できるのです。それでも運転するのが好きなので、実家に預けていました。が、母から「月に一度乗るか乗らないかなら、あの車が可哀そうじゃない?誰か乗ってくれる人、探そうか?」と言われたのはお盆の頃。そして先日、古い車だしすぐには見つからないだろうという私の目論みも外れて、あっという間に、新しい運転手さんの元に行ってしまいました。

 以前もお話しましたが、私はどちらかと言えば執着心の薄い方です。ですが、愛着心は人並みに持ち合わせています、たぶん。ですので、母から提案されてから一ヶ月ほど悩んでいたのです。鹿児島でのアレコレや、大阪までの道のり、色んなことがあの車には詰め込まれていたから。なんだか鹿児島の思い出を手放してしまようで即答は出来なかったのです。けれど、車も道具や家と同じで、使わなければすぐに老け込んでしまいます。15年も動いている車ですが、丁寧に整備をして下さっていたから、まだまだ乗れます。あのまま車庫でずっと待っているよりも、毎日とはいかなくても週に何度も乗ってくれる人のもとへ行った方が、あの車の車としての本分が果たせるのではないだろうか、そう思ったのです。そして、先日の連休に帰ったとき、母が知り合いで心当たりがあると言ってくれたので、お願いしたのでした。そして数日後、私の決心が揺らがないうちにと思ったのか、あれよあれよと去っていきました。

 昔はそんなに気にはしていなかったのですが、鹿児島へ行くと決めた頃あたりから少しずつ、縁やタイミングと言うものを意識しているように思います。良いことも悪いことも、縁あって私の元にやってきたのだと。「それが運命だ」と言うのとは少し違います。私は運命とは、一本ではなくて枝葉のように分かれていて、何かを選ぶたびに広がっていくのだと思っています。だからご縁で上手くいったなら、そういうご縁だった。けれどスムーズに運ばない、または離れていく、そんなときは私とご縁がなかった、合わなかったのだと思うのです。ご縁とは彗星のようなものですから、望んでも合えるわけではないし、望まなくてもやってくることがある。けれどそれを見分けるのが、その人の経験値であり、第六感なのかもしれませんね。

 ところで、私の愛車(だった)は、奈良でも山手の方に貰われていったようです。軽自動車でもエンジンが強い方だと聞いていた車です。きっと新しい運転手さんの足となり、活躍しているでしょう。ホントにヨカッタ。そして鹿児島からずっとお世話になっていた自動車屋さん。保険の解約手続きをしてくださいました。最後まで本当にありがとうございました。まだ少し、寂しさはありますが、これでよかったと心底思える日が、そう遠くないうちにやってくるはず。…でも、寂しい…。


          ところで、あなたは…。
             ~ゴン~







c0185858_15255682.jpg部屋は 窓からの光と共に
甘い香りが充ちていた

こんな穏やかなときを
幸せだと 感じられることが
幸せなんだと
気づきながらも
もっと と求める私は
欲張りなんだろうか

ベランダで花が
風に 揺れていた。






 大阪に引越ししてきて、はや3ヶ月。ん?まだ3ヶ月?
 引越した当初からいろんなことがありましたので、ずっともっと前からこの街に暮らしているような錯覚を覚えています。ここ一ヶ月の間でも台風に地震と立て続けに大きな被害を出した災害がありました。皆さんは大丈夫だったでしょうか。

 実家の奈良は、不思議なくらい台風で大きな被害を受けたことがほとんどありません。それは単に私が幼い頃はまだ、こんなに異常気象とよばれる現象が少なかっただけかもしれませんが、それでも少しの間大雨警報が出て、気がつけば台風は去っていたというのが、毎回のことでした。
 今回の台風21号は、台風の通り道鹿児島でも体験したことのない台風でした。前日からJR線は、台風当日は午前中のうちに全線の運転取りやめるとアナウンスをしていましたので、仕事も休みになりました。台風で仕事が休みなんて学生みたい、とのんきなことを考えていた私。大阪市でも比較的内陸に位置する私の街でも、台風通過中は想像をはるかに超えていました。私が住むマンションは構造上、揺れを拾いやすい建物。それもあって風が吹くたび部屋は揺れ、四方から雨は叩きつけられる。外ではあらゆるものが飛び、割れる音が聞こえました。そして人の背丈ほどありそうなトタンの看板が宙を舞い、戸建てのガレージの屋根を行ったり来たり。幸い看板はガレージの屋根を突き破ることも、どこかのお宅の窓を割ることもなく、ガラガラと音を立てながら道路を彷徨い続けているところで台風は去っていきました。実際の惨状は、ニュースで報道されている以上の状態で、それはきっと豪雨災害も北海道の地震もそうなのだろうと、改めて思ったのでした。

c0185858_15260723.jpg 私は、田舎に生まれ育ったからか、それとも母の影響なのか、無性に自然に触れたくなることがあり、先日、大阪市の長居公園へ行ってきました。とても広い植物園。秋雨が続いていたのに、ぽっかり晴れた日曜日でした。植物園の入り口に「9月14日から再開」の文字が。やはり先日の台風で大きな被害が出てしまったようで、広大な敷地の多くの場所が黄色いテープで仕切られており、その向こうにはまるで落雷でも受けたかのように木々が真ん中から折れていたり、根元から倒れている木々がまだたくさん残っていました。
 そんななかでも木々や花たちは、綺麗でした。誰に見せるでもなく、華美に着飾ることも無く、これが自分の個性だと自己主張するわけでもなく。ただ、そこにあるだけなのに凛として、それだけで私は、癒されたのでした。

 大阪はやはり都会です。毎日たくさんの人が、電車やお店や道路を行き交います。たくさんのモノが店に並び、たくさんの音で溢れかえっています。私は物欲があまりない方ですが、それでも、すぐそば手の届く場所に「いいな」と思うものがあれば、やはり心が迷うのです。「なくても大丈夫、だけどあると嬉しい」そんなものが、そこかしこに。

 豪雨災害が起き、台風がやってきて、地震が起きた今、本当はこうして生きていて、全てでないにしろ何とか自活できているだけでも、私は恵まれていて幸せなのかもしれません。けれど「もっと」と色んなモノやコトを求めてしまう。それが悪いことだとは思いません。きっとそれが「生きている」証拠でもあるのでしょうから。だけど「ただ生きる」を体現している花を見ると「私って欲張りかしら」とふと思ったのでした。いや、本当は私が知らないだけで、花も欲張りなのかもしれませんが…。


                    ところで、あなたは…。
                       ~ゴン~





c0185858_14413412.jpg
部屋からの 景色を変えたら

なじみの店が 変わった
よく聞く歌が 変わった
味の好みが 変わった

僕の心の 景色が変わって
君は 思い出になった。






 新しい生活が始まって約2ヶ月。この街にも徐々に慣れてきました。以前から気づいていましたが、やはり私は順応性がけっこうあるようです。もしくはただの鈍感。しかし最近困ったことが。新しい職場で話す言葉は、関西弁。ですが、長く鹿児島のイントネーションで敬語を話していたからでしょうか。つい鹿児島のイントネーションが出て「ん?なんて?」と言われることがあります。無意識ですからね…ま、これも私の個性という事で。

 自分の住む場所や居場所を移すという事は、それだけたくさんの人との出逢いがある、という事かもしれません。そしてたくさんの人に出逢うという事は、それだけたくさんの考え方や人生経験を伺うことができるということ。私は、人の話を聞くのが好きです。沈黙の時間が苦手なうえ、これまでの人生、情けないことはあっても誇れることも隠すほどのこともありませんので、自分の話をいろいろとしてしまいますが、話すより聞く方が好きです。
 私は私から見える世界しか知りません。けれど、人の数だけその世界はあります。誰かと出逢って会話をすると、その人の世界を知ることができます。すると自分の世界も色や形を変えていく。素敵な事ですよね。もちろん自分と同じ考えの人ばかりではありません。だけど犯罪や誰かを傷つけること以外で、唯一の正しい答えなど、本当は存在しないのかもしれません。だから、たくさんの考えを知って、懸命に答えを探すことが大切なのかもしれませんね。

 この季節になると、先の戦争のこと、今の世界のこと、そしてこれからの私たちの未来について考える機会が増えます。私は、過去(歴史)とは蔑み憎むものではなく、未来を考えるために学ぶものだと考えています。そして相手を知り理解することで、未来は違った景色を映しだすのかもしれません。たとえ相手を知ってもなお許すことができなかったとしても、知らなかったころとは違う感情が芽生えていると思うのです。
 けれど、どうか新しく歴史を作り出す人たちが、無関心にだけはなりませんように。「知らない」ことが罪なのではなく「知ろうとしない」ことが、私は罪だと思うから。

             ところで、あなたは…。
                 ~ゴン~