何も見つからないのは
何も見ていなかったから
何もないと思っていたのは
欲しいものだけが
そこには なかっただけ
欲張りな僕の心は いつも
砂漠の中をさまよっているけれど
本当の世界は きっと
砂漠の中にもたくさんのモノであふれている。
ようやく秋めいてきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は彼岸花が好きなのですが、ここ数年、見ごろに出逢えずにいます。そこで先日インターネットで調べてから出かけたのですが、残念。大阪市内はまだ暑さが続いているからか花芽さえもほとんど見当たりませんでした。
私の実家は奈良県の中でもそこそこ田舎で、学生の頃はオンラインショッピングはおろかインターネットすらそこまで手軽に利用できるものではなかったので、欲しいと思うものはなかなか手に入りませんでした。だから、都会に住めば欲しいものはすぐに手に入ると思っていました。そして今、私は大阪市内に住んでいます。学生時代から20年以上も経って世の中もすっかり変わり、あらゆるところに様々なモノが溢れかえっています。けれど私は昔とは逆に何が欲しいのか分からずにさまよっている気もします。元来あまり物欲がなく流行にも疎いので、それらが拍車をかけているのもあるかもしれませんね。
「何にもなかった…」そう思いながらウロウロしていた私。でも本当は違うのです。私が見たかった彼岸花が咲いていなかっただけでたくさんの木々は生い茂り、萩の花だって咲いていました。そこかしこにトンボは飛んでいて、たくさんの自然が溢れていたのです。ただ私がそれらを見ようとしなかっただけの事。
世界は自分がどのように見るのか、感じるのかによってその様を変えていきます。
探しているものが見つからないから「何もない」のではなく、ただ「欲しいもの」がその場所にはないだけで、自然が溢れている場所や街のなか、郊外の商業施設の中にもモノは溢れかえっています。そう「何もない」の代名詞である砂漠の中にもきっと同じことが言えるのでしょう。
本当に恐ろしいのは「何もない」ことではなく「欲しいもの」以外は見えなくなることなのかもしれませんね。そう思いながら数十年ぶりにみた「ジュズダマ」の実を眺めていたのでした。
ところで、あなたは…。
~ゴン~
何も見ていなかったから
何もないと思っていたのは
欲しいものだけが
そこには なかっただけ
欲張りな僕の心は いつも
砂漠の中をさまよっているけれど
本当の世界は きっと
砂漠の中にもたくさんのモノであふれている。
ようやく秋めいてきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は彼岸花が好きなのですが、ここ数年、見ごろに出逢えずにいます。そこで先日インターネットで調べてから出かけたのですが、残念。大阪市内はまだ暑さが続いているからか花芽さえもほとんど見当たりませんでした。
私の実家は奈良県の中でもそこそこ田舎で、学生の頃はオンラインショッピングはおろかインターネットすらそこまで手軽に利用できるものではなかったので、欲しいと思うものはなかなか手に入りませんでした。だから、都会に住めば欲しいものはすぐに手に入ると思っていました。そして今、私は大阪市内に住んでいます。学生時代から20年以上も経って世の中もすっかり変わり、あらゆるところに様々なモノが溢れかえっています。けれど私は昔とは逆に何が欲しいのか分からずにさまよっている気もします。元来あまり物欲がなく流行にも疎いので、それらが拍車をかけているのもあるかもしれませんね。
「何にもなかった…」そう思いながらウロウロしていた私。でも本当は違うのです。私が見たかった彼岸花が咲いていなかっただけでたくさんの木々は生い茂り、萩の花だって咲いていました。そこかしこにトンボは飛んでいて、たくさんの自然が溢れていたのです。ただ私がそれらを見ようとしなかっただけの事。
世界は自分がどのように見るのか、感じるのかによってその様を変えていきます。
探しているものが見つからないから「何もない」のではなく、ただ「欲しいもの」がその場所にはないだけで、自然が溢れている場所や街のなか、郊外の商業施設の中にもモノは溢れかえっています。そう「何もない」の代名詞である砂漠の中にもきっと同じことが言えるのでしょう。
本当に恐ろしいのは「何もない」ことではなく「欲しいもの」以外は見えなくなることなのかもしれませんね。そう思いながら数十年ぶりにみた「ジュズダマ」の実を眺めていたのでした。
ところで、あなたは…。
~ゴン~
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by kawagonta_y
| 2024-09-29 15:00
| いろいろ便り
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