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雨が続きますね…どうぞご注意下さいね。_c0185858_17122484.jpeg

空を見上げ 君を想う
風に揺れる 七夕飾り


     〜ゴン〜


気がつけば夏でした…_c0185858_18124091.jpeg

窓の外の紫陽花
時のうつろいを知る


〜ゴン〜




そっと目を閉じて
イメージしてみるこちらでは春の嵐がずっと続いています。_c0185858_15431652.jpg
私のいない世界にいる あなたを

そっと耳をふさいで
イメージしてみる
私の声がしない世界にいる あなたを

空は 青いだろうか
海は 穏やかだろうか
街は いつもと同じ匂いがして
風は 優しいだろうか

光はあなたを包み込み
きちんと あなたは
笑えているだろうか。



Gently close my eyes
Try to imagine
You in a world without me

Gently cover my ears
Try to imagine
You in a world where my voice doesn't

Is the sky blue?
Is the sea calm?
The city smells the same as she always does
Is the wind gentle?

Are you laughing properly in the light?





 きっと、きっとですよ。少なくとも私には、災害や事故、事件の傷の深さは、状況や規模だけで決まるものではないと思っています。その一人一人にとって被害にあったそれだけで、すでに心に傷を負っているのですから。

 以前にもお話ししましたが、私に故郷奈良(今は隣県ですが)に帰る決心をさせたのは「熊本地震」でした。あれから5年が経ちました。そうか…もう5年も経っていたんですね。その間にあまりにも多くのことが起きましたし、昨年の記憶がぼんやりとしか存在しないので、そんな風には感じられませんでした。

 先日、大阪市内を車で移動していました。車中から見える景色の多くに工事用のシートが見えたので知人に尋ねてみると、「再開発計画」のため古い建物を取り壊しているとのことでした。大阪には石造りの趣ある建物がいくつも残っています。たとえば大阪市立美術館。あのような建物が好きな私にとって取り壊しされていくのはとても残念で、どうにか保存できないのだろうかと思うのですが、きっと防火・耐震問題がクリアできないのでしょうね。昔の貴重な建物とそれを利用する人間、どちらも護れたらそれが一番ですが、どちらか一方しか護れない場合、やはり人命を優先せざるを得ないのが現実です。

 4月は熊本地震にJR福知山線脱線事故など災害や事故の記憶が続いていて、新しいことが始まる月なのになんとも言えない気持ちになります。特に事故や事件は「防げた何かがあったはず」そう思ってしまうのです。
 今月、通勤で利用する路線で2度、人身事故がありました。電車は人の人生や命を運ぶものなんですけどね。どのようなご事情があったのかはわかりませんし、それを論じるつもりもありません。ただ、運転士、居合わせた方、そしてその亡くなった方の近しい人が一日でも早く本当の笑顔になることを祈るばかりです。

 熊本地震で大きな損傷を受けた熊本城が、少しずつ元の姿に修復されつつありますが、元の姿に戻るまで20年はかかると言われています。けれど、戻すことができるのです、諦めなければ。そうあの日、失ったものはたくさんありました。でも、もう戻ることのない命以外は諦めなければ、いつかきっと形を変えてでももとに戻すことができるのではないでしょうか。そう思うのは、私の無責任な独りよがりでしょうか。

         ところで、あなたは…。
            ~ゴン~




悲しみが飛んでいく日大阪でも桜が咲き始めました。_c0185858_17340252.jpg
わたしはあなたと
ひとつになった

空は そっと抱きしめるだろう
風は きっと笑うだろう
大地は いつものように待っているだろう

今日も 昨日とは違う季節が来るように
記憶は過去になり 思い出に変わるだろう
そしていつかそれを 歴史と呼ぶのだろう

たとえ あなたがその歴史に登場しなくても
わたしの中で生きているから それでいい
いつか 誰かの中で生きる私の中で
あなたはずっと 生き続けるのだから。


The day when sadness flies
I am with you
Became one

The sky will gently hug you
The wind will surely make her laugh
The earth she will be waiting as usual

So that the season different from yesterday will come today
Memories will be in the past and will turn into memories
And someday it will be called history

Even if you don't appear in that history
You are alive in me, so that's fine
Someday in me who lives in someone
Because you will stay alive forever.





 東日本大震災から10年が経ちました。この10年の間もたくさんの災害が起き、たくさんの人が大切な人、大切なもの、大切な時間を失いました。その喪失感を被災していない私が、さも分かったかのように語るのはおこがましいのかもしれません。

 先日、Eテレの「100de名著」を見ていると柳田国男の「先祖の話」という本を紹介していました。
柳田いわく、私たち日本人は誰に教わるわけでもなく、また宗教の教えとは異なる「先祖はいつもそばにいる」という感覚を持っていると語っています。仏教やキリスト教、そして多くの宗教では生者と死者の世界は異なっていて、共生することはありません。けれど私たちは風がそよいだ時や何かの気配を感じた時、そこに亡くなった方の存在を感じることがあります。さらに柳田は「亡くなった後もこの世に残り、生者たちとの新しい関係の中で「生き続ける」ものだ」と語っています。そして墓は死者を閉じ込める場所ではなく、死者と生者の待ち合せ場所のようなものだとも解説者は話していました。
 私はこの話を聞いた時、祖父を思い出したのでした。何か大きな迷いがあった時、私は何気なく祖父の言葉を思い出したり、問いかけたりします。祖父ならどう言うだろうかとか、こんなことしたらきっと怒るだろう、なんて思ったりもします。そしてお墓。祖父は旅行が好きな人でしたし、お墓参りに行っても不思議とお墓の中にいない気がするのです。
 残念ながら私は祖父の写真を持っていませんので、正確な祖父の姿を思い出せませんし、声もおぼろげにしか覚えていません。物や形としての祖父はもう存在しませんが、それでも確かに祖父は、その考え方や遺伝という形で今も私の中で今も生き続けています。この感覚が日本人独自のものなのかは、私は研究者でも専門家でもないのでわかりません。けれど私はその感覚によって何度も救われ、また今の私を形作っていることは確かです。

 ときどき思うことがあります。「節目」など本当は存在しないのではないだろうか、と。
その災害や事故、事件で傷ついた人にとって、5年ごとの節目など意味を持たない。3年だろうが16年だろうが22年だろうが、その日は「その日」なのだということ。
 おそらく何年経ったかではなく、何をどう変えられたのか、のほうが大切なのかもしれませんね。
さて大切な何かを失ったあの日から私は、変えようと思った何かを一つでも変えることができただろうか。

                 ところで、あなたは…。
                    ~ゴン~

大阪でも桜が咲き始めました。_c0185858_17335745.jpg






少しずつ春の気配がしてきましたね。_c0185858_14491048.jpg
愛するあなたに 花を贈ろう
愛するあなたに 手紙を送ろう
愛するあなたに 想いを届けよう

世界にたった一人しかいない あなた

もうこの世にはいない 
愛するあなたに 会いに行こう。


I want to give beloved you a flower
I want to send a letter to beloved you
I want to send thought to beloved you

You that there is only only one in the world

I want to already go to the world
to meet beloved you whom there is not.





 新型コロナが流行し始めて、1年近くになります。数年前に90歳を迎えた祖母に最後に会ったのは、去年の正月いや一昨年の年末かもしれません。こんなにも会えていないのは、初めてです。鹿児島にいたころでさえ、一年に1度、ないし2度は会えていたのに。
祖母は今、年齢のこともあり施設に入っています。ですので、容易に会うことはできません。面会できるのは、事前に登録している叔父だけ。母も面会できず、新型コロナの第2波が収まったころに一度、窓越しで会えたそれきりのようです。

 祖母は、スマホはおろか携帯電話すら持っていないので、遠くにいながら直接会話することはできません。だけどなんだか寂しくて、祖母の心細さを考えるといてもたっても居られずハガキを出しました。叔父の家に届けば、叔父が日々の着替えと一緒に届けてくれるはずです。
 ハガキの内容は他愛もないこと。それでもいいと思ったのです。祖母のおかれている状況を考えると、きっと返事の来ないハガキとなるでしょう。それでも次、祖母に会えるまで月一でいいから続けようかと思います。高齢の祖母はおそらくワクチンの接種も早いでしょう。ですが、私は医療従事者ではありませんし、基礎疾患などもないので、ずいぶんと後になるはずです。そうなると祖母に会えるのはきっとずっと先のような気がします。なので、せめて想いだけは届けたいと思うのです。

 先日、ニュースを見ていると、ある花屋さんの記事が載っていました。それは最近、お祝いの花ではなく、お悔やみの花が増えたという話。いつも家族のために花を買いに来ていたお母さんが突然来なくなり、代わりに子供たちがお母さんに供える花を買いに来たそうです。

 戦争や内戦もない日本に暮らし、贅沢ではないけれど困るほどではない生活をし、死を考えるほどのいろんな苦しみを感じずに今、私は生きています。そう思うと「死」とは少し遠い場所で生きているのかもしません。けれど「死」とは等しくやってくるもので、それはいつ、どんな状況でやってくるかわかりません。「いま、伝えなくても大丈夫」と思えるのは、相手にも自分にも「明日が必ずくる」と無意識に思っているからなのでしょうね。そう思っている私は、とても幸せなのかもしれません。

             ところで、あなたは…。
               ~ゴン~