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梅雨はどこへいった?

梅雨はどこへいった?_c0185858_14161128.jpgミギテ ヒダリテ

お箸を持つほうが ミギテ
お茶碗を持つほうが ヒダリテ

だけど
あなたは そうじゃない

わたしのふつうと
あなたのふつう

どちらもだれかの当たり前。







 最近「きのう何食べた?」というドラマを見ています。
 お話の主人公は同性のパートナーと暮らしている40半ばの男性。恋がどうとか、会社がどうとかそんなお話じゃありません。歳を召していく親のこと、いろんな人との関わり方、そんなことをほのぼのと描いていて、私もほのぼのだけど、毎回何か心に残るモノを感じながら見ています。
 ある一場面でのこと。主人公のパートナー(美容師)がお店のお客さんに主人公との仲を話します。ある日、主人公とパートナーが歩いていると、そのお客さんとそのご家族に出くわします。そこでお客さんが「この方が噂の…」と話しだすんです。主人公は、自分のまわりに同性のパートナーがいることを話していなかったので、パートナーに「なんでお客さんに二人の仲を話すんだ!」と怒ります。するとパートナーは言うんです。「だって店長だってお客さんに自分の家族の話をするよ。僕だって話したい!」と。

 私は基本的に同性であれ異性であれ、また歳の差がある場合でも、誰かに恋をし、その人のいろんなことをマルッと受け止め、愛することができる、それはすごいことだし、素敵なことだと思っています。「誰かを愛することができる」ってことは当たり前のようだけど、当たり前じゃない。いつもなんだか躓いてしまう私にとって、それは尊敬に値します。多くの人が「当たり前」とすら思っていないことも、本当は「当たり前」ではない事って実は多いのかもしれませんね。

 私は猫舌です。しかも致命的なほどに。ご飯を作っていても、慌てて味見をすると、舌が火傷のせいでしびれて味が分からなくなります。家族の中でも、おそらく私だけが猫舌。だけどそうだと気付いたのは、大きくなってから。それまではみんな熱いのを我慢して食べているんだと思っていました。そう、私には我慢が足りないんだと。

 ときどき思うんです。自分の体の特徴や趣味趣向だけでなく、仕事、生活習慣や考え方、経験もそう。
自分にとって「当たり前」と思っていたこととはまた違う誰かの「当たり前」に出逢った時、もしかしたら「理解する」ことよりも「受入れる」ことの方が、難しいのかもしれません。きっと「理解」は「頭」で、「受入れる」は「心」でするものだから、なのでしょうね。
 はてさて私はきちんと、色んなこと受け入れているだろうか。

                   ところで、あなたは…。
                     ~ゴン~









by kawagonta_y | 2019-05-26 14:32 | いろいろ便り | Comments(0)